グローバル化と文化の侵略の違い
よく見ると2010年の記事だったのですが、たまたま見かけて思う所があったので書きます。
chikirinさんのブログにグローバル化に関する記事があって、以下の様に書かれています。
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グローバリゼーションとは、日本人に英語を習わせることではない。それは、世界の人を受け入れること。世界の多様性を受け入れることを言うのだ。
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「多様な価値観、自分達とは異なる思考や経験をもつ人を、意思決定や組織運営を共に行う仲間として迎え入れること」
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少しこれらの事は置いておいて、自分の思うグローバル化を想像してみてください。日本におけるグローバル化と海外におけるグローバル化を想像して見てください。
前者は、恐らく日本のオフィスに日本人に混じって白人がいて、皆が英語で話している感じのものを想像しませんでしたか?後者については、白人に混じって日本人がいて、皆が英語で話している感じのものを想像しませんでしたか?もしそれらに差があるならば、まずあなたが定義しているグローバル化は、グローバル化ではなく文化の侵略です。しかも、文化の侵略をする方ではなく、される方です。文化の侵略をされる事を、グローバル化と定義しています。
先程のchikirinさんからの引用を思い出しましょう。グローバル化とは、世界の多様性を受け入れること、そしてそれらを持った人達を意思決定や組織運営を共に行う仲間として迎え入れること、です。
日本におけるグローバル化を想像した場合、それが、日本人に混じって白人がいて、皆が英語を話しているものであったとすると、ここにおける多様性とは、人種の違いであったり、母国語の違いだったりです。日本人は、それを受け入れたのかどうかは別にして、とりあえず相手の母国語であろう英語を話していると想像したと思います。オフィスを想像してた場合は、何かを決めるためのミーティングをしているのを想像していたと思います。ですので、ここにおける日本人は、少なくとも自分とは違う人種や言語を受け入れて、何らかの意思決定をしていると言えるでしょう。なので、その人にとってその場はグローバル化された場でしょう。
しかし逆はどうでしょう。その場の白人は、自分とは違う人種と一緒にいます。多様性を受け入れているのでしょう。しかし、言語に関しては自分の言語を使っています。恐らくその場の日本人が英語を母国語としない事を知っているでしょう。しかし自分の母国語を使っています。
海外におけるグローバル化を想像した場合、それが、白人に混じって日本人がいて、皆が英語で話しているものであったとすると、ここにおける多様性は以前と同様に、人種の違いであったり母国語の違いであったりです。白人は、それを受け入れたのかどうかは別にして、自分の母国語であろう英語を話しています。オフィスを想像していた場合は、何かを決めるためのミーティングをしているのを想像したと思います。ですので、ここにおける白人は、少なくとも何らかの意思決定に日本人を受け入れているといえるでしょう。しかし言語は英語です。
逆はどうでしょう。その場の日本人は、自分とは違う人種と一緒にいます。多様性を受け入れているのでしょう。言語も相手の母国語であろう英語を話しています。グローバル化ですね。
さてここで両者の差に気づいたでしょうか。白人は受け入れていないものがあります。日本人は受け入れていないものはありません。この差は何でしょうか?つまり、日本人はグローバル化によって自分達がしている事を、相手にはしてもらえてません。では相手はグローバル化じゃないのでしょうか?そうは思わないはずです。
となると、日本人にとって、グローバル化によって得られる事よりしないといけない事の方が多いのです。しかも日本人はそれを自分の意思でやっているのです。凄く損です。
もっと簡単な例を出しましょう。白人の彼氏/彼女がいる日本人、と聞いてその二人を想像してみてください。日本人が英語を話して、白人は日本人が喋る英語ほど日本語を話せていない事はないですか?もしそうなら、なぜそうなのですか?白人は、日本語を受け入れたくないんです。しかし日本人はそれを不公平だと思わないのです。それが当たり前だと思うのです。
しかしもしそれが日本人とベトナム人のカップルだったらどうでしょう?日本人がベトナム語を話しているのを想像しましたか?それともベトナム人が日本語を話しているのを想像しましたか?そしてそれを想像したのは何故ですか?もしくは、その二人が日本人と韓国人だったらどうですか?
もし本当に、グローバル化が多様性を受け入れる事だと思うのであれば、相手も自分に対してそうするはずです。しかしそうでないのであれば、相手はあなたに接する事をグローバル化だとは思っていません。自分の文化を受け入れてくれる人、なのです。もっと言えば、自分に都合の良い人なのです。自分の文化は受け入れてくれるけど、自分に相手の文化を受け入れることは要求しない。そんなに都合の良い人はいないのです。
相手は自分の文化を受け入れてくれないのに、自ら進んで相手の文化を受け入れるのは、自らの意思で迎え入れる文化の侵略です。

